独身無職24歳女

何者にもなれず。

昔の記憶

 

私は24歳にしては異常なほど母と仲がいい

 

毎日のように30分ほど電話をするし共通の趣味もあってか話題が尽きない

 

そんな恵まれた親子関係で育った私はなぜか愛着障害の気がある

 

 

彼氏ができても既読無視をして追いLINEの有無で愛の重さをはかるし、それに応えようもんならばれる気配のない浮気を自白してその男が許すのか確かめてしまう。素直に会いたいとも言えないしなんも自分から言わないくせに思い通りの行動をしてくれないとやっぱり私のことわかってくれないんだとなる

 

 

 

 

たぶんきっと原因は母親だ

 

 

大好きだから嫌な記憶には蓋をしておきたかったのかもしれない

 

 

もう何歳の記憶かも定かではないが両親が離婚成立の前だった気がする

 

何回か母が男の友人を会わせてくる機会があった

 

幼いながらあまりいいことではない気がしながらも遊園地なのか広場なのか覚えていないが車に乗ってお出かけした

 

帰りに母は男の家に上がり私一人車に数分残された気もする

 

本当に昔過ぎて覚えていないのに

 

覚えている

 

今思うと母は本当に私を大切に思っているから車に一人放置することなんてないと思うからきっとトイレを借りに一瞬だけ一人になったかない記憶を私が作り出している可能性もある

 

また別の男の時は毎日電話をしていてそれが嫌だった私は母のスマホからその男の連絡先を消した

 

今となってはそんなの意味ないしもちろんそんなことで連絡が途絶えるわけもなく私が連絡先を消したことも母は気づいていた

 

父親とは後に離婚が成立するが20歳まで養育費を1度も欠かすことなく支払い私の好きなものを何でも買ってくれる大好きでこの世にたった一人の父親だ

 

だからこそ母親の男は私からしたら知らない赤の他人で仲良くする気もなくて

 

母親の女の顔を見ることにも当時は抵抗があって

 

 

多分私はあまりにも一人っ子の箱入り娘として家族全員から大切に甘やかされすぎていたのだと思う

 

だから母が私”だけ”じゃなくなったことが裏切りに感じたのかもしれない

 

あの時の私にとって唯一絶対的だったものは母親だけだったのかもしれない

 

今の私は誰に対しても期待をしないがあの時は母親が私の世界そのものといえるほど依存してしまっていた

 

二人だけの家族だったのだから当たり前だ

 

 

なにが今のわたしのトラウマになっているのかもわからない

 

父親の愚痴を言う母

酒癖の悪い父親

私を置いて男の家に泊まりに行く母

母を取られる恐怖

 

どれもきっとほかの人からしたらたいしたことないことだろう

 

私がこの文章を書きながら泣いたのが父親の話の部分というのも興味深い。。

 

冒頭では母親のせいだと断言しているのも今となっては不思議だ

 

 

大人の愛着障害というワードをよく耳にするようになったがこんな私が言うのもおかしいが二十歳超えた人間のすべては自己責任なのだ

 

恋人に対して人とは思えぬ対応をしてしまうのも案の定応ええてもらえず絶望を繰り返すのも全部素直になれない私のせいなのだ

 

根からの他責思考が生んだモンスターが私ってわけ

 

はあ今も恋人からの連絡を無視しているヘラったLINE送ったら会いに行くよって100点の連絡来ても救われないないなら多分試し行為できるような相手のこと私そんな好きじゃないのかもな

 

 

 

ハイ終わり解散