私は田舎から出なかった同級生のことを少しだけ羨ましく思っていて、心のどこかでその田舎でその生涯を終える人生を見下しているのかもしれない
この話は"幸せとは何か"という問題に起因する。
私は人生をより俯瞰から見るようにしている。(したくてしているわけではなく、そうすることしかできない。)
人生は死ぬまでの暇つぶしだ。
そう思っている私はやりたくないことをやる暇もないしずっと幸せに生きたいと思っている。
なるべく幸せでありたい。
私は学生の頃から漠然と都会への憧れがあり、電車で1時間以上かけて渋谷に飲みに行き始発で家に帰ることが多くあった。
そして私は社会人になるタイミングで上京した。
最初は渋谷や六本木の会員制バーに入り浸り楽しんでいた。
しかし最近は年齢のせいなのかお酒が翌日に残りやすくなり飲みの場への期待値も下がる一方だ。
きっと社会人なりたての私の幸せはバーテンにちやほやされることだったのだろう。
都会を感じて自分が六本木で飲んでいることに価値を見出し脳汁がでていた。
でもそんなの数ヶ月で飽きた。
一方地元の友達を見ると同棲を始めたカップルや結婚した同級生に妊娠報告のインスタ。
ここで私は思う。
あれ、わたしなにやってんだろ。
ものすごい不安に襲われながらも心の中で思う。
(同級生に向けて)それでいいの?
地元で若くして結婚なんてしたらその先の人生が大体予想できてしまう。大したイベントもなく平凡な暮らしで生涯を終える。
ましてや年収4.500万の男と結婚したら一生共働きだ。子育てもしながら働いて夫はキャバクラ通いで夫婦仲は次第に悪くなる。(ものすごく勝手な妄想だ。)
たぶん私は水商売の経験を経て男への信頼度が0になっている。
男は浮気するし若い女が好きだしずっと子供。
だからこんな歳で相手決めて人生をレールに乗せる同級生に対して理解ができないんだと思う。
しかし私も心の底では分かってる。その平凡こそが幸せだと言うことに。
でも、もう私はここまできてしまった。
男を盲目に追いかけたり、信用したりすることはできない。
いつかのテレビでのマツコの発言
「自分にとっての幸せとは、他者を介在させずに喜びを得ること。」
私はこの言葉を待っていたんだと感じたと同時にこの言葉の意味が理解しきれない自分もいることが分かった。
結局誰よりも他人の目を気にして誰かに縋りたいのはわたしだ。
結婚、出産、お金、美
他人から見てわかりやすい幸せ。
人生を俯瞰して見ている私にはそれが絶対的でないことはわかっているはずなのにそれでも憧れる。
結婚したところで浮気されるかもしないし、出産は様々なリスクの上で健康な子供が生まれる保証はない。お金がいくらあっても寂しそうなおじさんを港区で沢山見た。美しさは加齢により失われる。
幸せってなんなんだろう。